角川映画、KADOKAWAアニメが低評価な理由は何故?「大衆文学と未来のメディア」

角川映画、KADOKAWAアニメが低評価な理由は何故?「大衆文学と未来のメディア」

携帯小説と「なろう」という方向性

 先程説明した大衆化によって失われていくもの、そしてそれらの度合いは大衆娯楽のジャンルによっても二極化するという話につながるものでもあるのですが、特に小説に関して言えば、それはもはや、どういった受け手を想定して書くのかという前提によって、あたかもまるで全く別のコンテンツジャンルなのではないかと言えるものがあったりします。特に最近それが顕著なのが、携帯小説、そして小説家になろうなどの小説投稿サイトなどで公開されているなろう小説と呼ばれている作品群であったりします。

 これらの作品群などで特にそのコミュニティー内で高い評価を収めている作品などを取りあえげてみてみると、これまでのメディア媒体にはなかったような傾向の作品があり、その根源となる部分を探ってみると、新しい読者層に向けてのストーリー作りを突き詰めていっていたということがわかるのです。

面白い作品が見たい

独特過ぎる文体とテンプレートバイオレンスラブな携帯小説

 一時期女子高生などをターゲットにヒットした作品群にケータイ小説がありますが、これは短絡的・類型的なストーリー展開、語彙の少なさや文章表現の稚拙さ、投稿される際の推敲の不十分さ、安易な性的・暴力的描写などの特徴があり、「いじめ、裏切り、レイプ、妊娠、流産、薬物、病気、恋人の死、自殺未遂、リストカット」といった暗い現実と、真実の愛に目覚めて救済されるというテンプレートなバイオレンスラブストーリーな傾向を持ったものでした。これは一見稚拙なだけの作品とも呼べない作品だと捉えてしまえばそれで終わりですが、しっかりと突き詰めて考えていくと、これまでのストーリーという物が男性を主要の読者としたもの、かつ比較的年齢層の高い熟練した技術のある作家が、読者に向けて提供するというスタイルを貫き通して来ましたが、ここに来てオウンドメディアを誰もが――そうそれは例えば本物の女子高生であっても、持てるようになったことからか、少女から少女の手に物語を届けることが出来るようになったということなのです。つまり、その読者層がほしいと求める物語を最も熟知している作者が、その読者に向けて物語を生産する。これが、携帯小説の局所的なヒットにつながったのです。事実、現在の携帯小説はそう言ったテンプレートバイオレンスなストーリー主体からは徐々に外れていき、様々なストーリー性のあるものへと変貌していっています。これは、読者がテンプレートバイオレンスラブストーリーをおおかた消費し終え、新たな物語を求めはじめた事による結果なのではないでしょうか?

「不幸は排除! 能力は無くてOK!」というなろう小説

 また、小説家になろうという小説投稿サイトでもこのような傾向は引き起こっています。この小説家になろうというサイトですが、異常なPVをたたき出し、広告のみで年間収益一億円を稼ぎだすという若年層に人気の恐ろしい投稿サイトですが、このサイトでのランキング高順位の作品にもそれと似た傾向が見受けられます。これはテンプレートバイオレンスラブストーリーではなく、非能力主義者の非努力サクセスストーリーという物がメインとなっております。特に転生モノと呼ばれる生まれ変わりによる新しい世界での主人公の活躍が描かれる物が多くこれまで、ダメだった人物が、環境の変化や、自分の努力や才能といったものの枠外から外れた要素によって、どんどんと成功していく様が描かれていることが非常に多いです。特に特徴的なのは、主人公が何らかの苦悩を感じたり、苦難に苛まれたりといった物語としてはありがちな要素の殆どが省かれており、まるでドラックか何かのようにひたすら読んで気持ちよくなる物語が高い人気を博しているということなのです。これは、おそらくその読者層がこれまで成功という成功に恵まれなかったことや、努力や才能によって何かを手に入れるということについて疲れを感じているはたまた、現実でさえ苦難や苦悩に満ち溢れているのに、物語の中でまでそんな現実に引き戻されたくはないといった願望から発展した、ある意味超非現実的な快楽サクセスストーリー妄想作品ということになるのでしょう。これは一見マイナスに捉えられがちなことではありますが、物語の中では異常なほどこれらの内容が肯定されており、それを消費したいと思う読者自体が気持ちよく読めるということなのでしょう。しかし、これもそのうちに読者がこのムーブメントを消費し終えると、もっと気風の変わった作品を求め始めるという流れに変わっていくように感じています。

結局は読者の求める物が提供できているかが全て

 前述した二例などから鑑みるに、やはり読者が求める物を提供するということが、最も根源的な大衆向けストーリーとしてあるべき見地で、その次に来るのが技術であったり、練度であったりとするのでしょう。特に、これはストーリー自体が、ある意味物語を通じての自分との対話という性質を持っており、これはメディア媒体によってその方法論が少しずつ異なるものの、本質的な部分のい関しては、読者の求める応えを見つけさせてくれる物語という物がやはり成果を出し、人気を博しているということなのです。

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基本的に文学もアニメも映画も新たな読者の発掘から始まる

 携帯小説の局所的なヒットと、小説家になろうの作品が相次いでアニメ化されるといった自体は、恐らくはこれまで作品というものについて、物語という形で触れたことがあまりなかった層が、技術の進歩やリテラシーの改善などによって開拓され、一つのまとまった数をなした時に生まれるものなのではないでしょうか? そう考えると純文学や、ミステリ、SF、ファンタジー、ラブストーリーとはそれぞれの物語の傾向をそれぞれの趣向別にまとめたジャンルであり、ライトノベルとはそれまでは本をあまり読まないと思われていたオタク層、はたまたアニメやマンガなどを読む少年層に広がったジャンルであり、携帯小説は女子高生に、そしてなろう小説は中高生とそのノスタルジーに触れ心癒されたい青年層へというジャンルを支える読者たちによって生み出されたのだという言説に関してかなりの信憑性が湧いてきます。

 また、その大雑把なジャンルの中でも、その読者の心をつかむ作品というものは基本的に、指定する読者についてかなり具体的に明確にしてあり、その明確な読者の胸に直接響いて届くものだと思います。角川作品の場合はメディア換装を行う段階でこの読者層が、オタクや〇〇好きにようなあまり具体的でないものを設定していたり、それまでの物語についての無理解などの要素なども含まれているという風に感じました。もしも、これから角川作品が大きなヒットを継続して生み出し続けるには、この消費者たる読者のニーズに対してもっと綿密な対話が必要であり、そのためにはビックデータを用いる、はたまたただ単純に読者に対して問いかけ、考え分析してみるという作業が必要になるのではないでしょうか? それさえできれば今現在の角川の規模からいって更なる飛躍と更なるメディアの成長が見込まれるのではないかと思います。