角川映画、KADOKAWAアニメが低評価な理由は何故?「大衆文学と未来のメディア」

角川映画、KADOKAWAアニメが低評価な理由は何故?「大衆文学と未来のメディア」

大衆娯楽の最大大衆とマニアックの二極化

 角川文庫、そして角川映画という二つで一つのメディアミックス戦略によって角川書店はその隆盛を極めていったといっても過言ではありませんが、それが日本文学史上における良策だったのかと尋ねられると、流石に疑問を呈さずにはいられません。本来、商業文学、はたまた大衆娯楽文学と呼ばれるもの、娯楽のコンテンツとされるもの事態が、そういった大衆に求められるものとして、作られなくてはならないという前提に立って作られているという都合上、その疑問は掃いて捨てるべきだという人も多いかもしれません。しかし、ここで必ずしも議題に上げなくてはいけない事柄は、大衆か否かの二律背反的な大衆文学、大衆娯楽の矛盾議題ではなく、最大大衆なのか否かという、もう少し範囲を狭めたものなのだということをしっかりと明言したいです。この最大大衆というのは、例えば日本語で書かれている本であれば、日本語が読める人全員を対象とした作品ということを指します。例えばミステリ作品なのであれば、これまでに全く一度もミステリ小説を読んだことがない人も理解でき楽しめるという作品が、最大大衆性が高いといえるのです。その観点に照らし合わせると例えば、SF小説を読まない人が多いと仮定したとすると、SF小説を書くこと事態が大衆性からかけ離れているという事になってしまいますが、最大大衆性を高めていくのであればSF小説であってもより市場の大きいであろうラブストーリーの要素を取り入れたり、また若年層に受け入れられやすいように小難しい話を抜きにして、魅力的なキャラクターや、受け入れられやすい展開を推し進めていったり、また読者層を狭めるような描写を極端に削り、さらにその時々でミステリが人気があればミステリを、はたまた歴史が人気があれば歴史物をとその時々、そのつどつどで必要なカバー要素をストーリーの中に用意するということが最大大衆を得るためには必要になってきます。これらは、大衆小説や大衆コンテンツが大衆と名をつけて評価されるまでの間に多くの年月を経るうちに、最大大衆化していく作品と、はたまた、もっとマニアック化していく作品との二極化も非常に進んでいき、特に前者の場合は、メディアミックスによって更に最大大衆化され、もはや中身など無いと言っていいような作品に成り下がってしまうといった事態も起こりうる危険性をはらんでいるのです。特に角川映画や角川アニメについてつまらないと感じてしまう層は、そのジャンルの重度理解者であり、最大大衆化の果てに薄味になりすぎてしまった作品に対して物足りなさを感じているという人が多いのではないのかという話なのです。

面白い作品が見たい

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これまで大衆としてきたものが溢れる

 また、それまで大衆としていきたものがあふれるという事態も起こりうるようになってきます。それは、言うなればそれまで大衆向けとしてきたものが一般的でなくなり、マニア化して引き起こるという事態や、逆に、マニア向け、最大大衆でないとされてきたものに影響を受ける人があまりにも多すぎたことによって最大大衆化されていってしまうという事になります。

 当時は画期的だったもの、大衆的でない異端の表現だとされてきたものも、それに感銘を覚える人が増え、表現自体が一般化されならされていくと、非常に、ありふれたようなものとなったり、陳腐化するということもあると言いましたが、その代表的とも言える作品が、AKIRAなどの時代を変えたとされている作品であり、今は一部のマニアなどをのぞいてはそこまで高い評価をされていません。特に、現在のメディアコンテンツ消費層にその作品を見せるとどこが面白いのかわからないなどという言葉をはっすることがあったりするのですが、これは当時は非常に画期的でこれまでになかった、大衆娯楽でありながら、最大大衆化されていないものであったのにもかかわらず、時代の経過と模倣者の氾濫によって陳腐化してしまった証左だともいえるのではないでしょうか?

 それまではこういったものが新しい出たことが無いということで、大衆娯楽の中でもあまり最大化されていないマニアックな物として捉えられてきたものが、一気に人気になったせいで陳腐化してしまっているという現象は勿論逆転も起こりえます。例えば昔は俳句などが非常に大衆性の高い文学コンテンツとして認められてきましたが、今ではそれらは、大衆性から抜けだして一つの伝統芸術とも言える分野へと変化していっています。それはある意味行き過ぎてしまっているきらいがあり、もはや娯楽作品としては通用しないようなものへとシフトしてしまっているようにも感じます。特にマニアックな分野だと認定され始めると一種の神格化現象が起こり始めるため、これまで大衆化を目指して進み始めていたはずが、気づいたらマニアック化してしまっている作品なども一つの問題として提示出来るレベルに可視化されていっています。要するに、最大大衆化も、マニアック化も行き過ぎるとどうしようもなくなってしまうということなのでしょう。特に角川のようなサブカルと商業主義を両立してなそうとしている出版社などですと、この二律背反的な命題をどのようにして、解決していくのかという部分が今後の一つの課題として上がっていくとも言えるかと思います。

角川といえば