メディアの重鎮「角川書店」の今?
角川映画、角川アニメがつまらないと思ったことは無いでしょうか?
「原作への情熱が全く感じられない」「ただ、金儲けをしたいだけだ」などという辛辣な意見から「とりあえず作っとけで品質管理をサボっている」という戒めの言葉などもチラホラ耳にします。しかし、その実は一体どうなのでしょう? もし、本当に面白く無いのだとしたら、その原因となっている事柄は一体何なのでしょうか?
このサイトではそんな角川文庫により一時代を築いたコンテンツ界の重鎮――角川書店に焦点を当てて、良いところと悪いところを忌憚なく解説し、またこれからのコンテンツの世界についてビジネス面とクリエイター面と二つの視点から眺めて詳しく解説していきたいと思います。
角川書店の歴史
株式会社KADOKAWAは角川書店を主要母体とする角川グループの統括持株会社で、2003年より株式会社角川ホールディングスへ社名変更し、さらに、2013年に現在の名称となりました。まずはその株式会社KADOKAWAの主に角川書店での歴史をメインにして紐解いていきます。
略歴
角川書店の起こりは、その初代である国文学者の角川源義により1945年に創業されたことによります。創業当初は国文学関連本に強みを持つ出版社だったのですが、1970年代からは文芸路線から、一般大衆向けの文庫作品に路線変更し成功を収めました。特に当時は、横溝正史がその火付け役となっていました。角川春樹が社長に就任した翌年の1976年には、本を映画化しテレビコマーシャルを利用して大々的に販売するメディアミックス戦略を成功させ、日本映画界に角川映画旋風を巻き起こしました。
1980年代からは『ザテレビジョン』や『東京ウォーカー』等の情報誌、ゲームソフト制作等も行うようになり、80年代後半には漫画雑誌やゲーム雑誌を多数創刊。1988年には角川スニーカー文庫を創刊し、後には関連企業(アスキー・メディアワークス、富士見書房)も含めて、ライトノベル市場の国内最大手となってました。
2003年4月1日に持株企業に移行し、角川ホールディングスに社名変更して純粋持株企業となる一方、事業企業として新規に株式企業角川書店を設置します。2006年に株式企業角川グループホールディングスへ商号変更したが、2013年4月1日に角川グループパブリッシングを吸収合併して事業持株企業化し、同年6月23日に株式企業KADOKAWAへ商号変更。同年10月1日付で角川書店(3代目)他のグループ企業を吸収合併しました。
- 1945年11月10日 - 角川源義が角川書店(初代)を創業。
- 1954年4月2日 - 株式企業に改組。資本金は385万円。
- 1975年 - 源義が死去。編集局長の春樹が社長に就任。
- 1976年 - 春樹が株式企業角川春樹事務室を設置。映画製作と出版を連携。角川文化振興財団を設置。
- 1988年 - 株式企業角川春樹事務室を吸収合併。以後、映画製作は角川書店本体が行いました。
- 1991年 - 株式企業富士見書房を吸収合併。角川書店内の富士見事業部として営業を継続。
- 1992年 - 副社長の歴彦が辞任。退社して株式企業メディアワークスを創業。
- 1993年 - 春樹がコカイン密輸事件で逮捕され、社長を解任されます。歴彦が顧問として角川書店に復帰。さらに社長に就任。角川メディアオフィス、ザテレビジョン等関係企業を吸収合併。角川書店内の雑誌事業部、ソフト事業部、雑誌編集部とした
- 1995年 - 株式企業ヘラルド・エースを傘下に修める。
- 1998年11月 - 東京証券取引所市場第二部上場。
- 2002年 - 映画企業大映を買収し、角川大映映画を設置。主婦の友社傘下だったメディアワークスを子企業に。
- 2003年4月1日 - 角川書店が商号変更し、株式企業角川ホールディングス発足、持株企業化。同時に企業分割し出版仕事を新たに設置した株式企業角川書店(2代目)に事業譲渡。
- 2004年 1月 - 角川書店からエンタテインメント事業部を分割、株式企業角川大映映画に譲渡。
- 3月18日 - 株式企業メディアリーヴスの株式公開買い付けを実施し、同社を子企業としました。
- 9月1日 - 東京証券取引所市場第一部上場。
- 2005年10月1日 - 角川書店から富士見事業部を分割、新たに株式企業富士見書房を設置。
- 2006年4月1日 - 角川書店からウォーカー事業部と雑誌事業部のザテレビジョン部門を分割、ウォーカー事業部と角川書店北海道、ウォーカープラスを統合した「角川クロスメディア」、ザテレビジョン部門と角川インタラクティブ・メディアを統合した「角川ザテレビジョン」を新設。
- 7月1日 - 商号を株式企業角川グループホールディングス(角川GHD)に変更。
- 2007年1月 - 角川書店を分社し、出版事業部・カルチャーコンテンツ事業部を新設する株式企業角川書店(3代目)に、雑誌事業部を株式企業角川マガジンズに、映像関連子企業とその管理を角川ヘラルド映画にそれぞれ承継・吸収。出版販売・調達等事業サポート部門を株式企業角川グループパブリッシングに社名変更。角川GHDは角川書店内にあった経営管理・統括部門を承継。また、雑誌事業部門統括企業として株式企業角川マガジングループを分割設置。
- 2008年4月 - 角川マガジングループの商号を株式企業角川マーケティングに変更すると共に、角川GHD・角川書店傘下のクロスメディア事業子企業を委譲。
- 2009年4月1日 - グループ内のゲーム事業統括企業として株式企業角川ゲームスを設置。
- 4月7日 - 株式企業中経出版の全株式を取得し、子企業化。
- 2011年5月26日 - 株式企業ドワンゴと資本提携し、ドワンゴが角川GHDの自己株式73万株を、角川GHDがドワンゴの自己株式及び新株計16,800株をいずれも第三者割り当てで取得すると発表。
- 11月12日 - 株式企業リクルートから子企業の株式企業メディアファクトリーの全株式の譲渡を受け、同社を子企業化。
- 2013年3月8日 - エイベックス・グループ・ホールディングス株式企業からドワンゴ株式を追加取得し12.23%を保有する第2位株主となってます。またドワンゴ子企業の株式企業スカイスクレイパーの株式60%を取得し子企業化、商号をスマイルエッジに変更。
- 4月1日 - 株式企業角川グループパブリッシングを吸収合併。
- 6月22日 - 商号を角川GHDから株式企業KADOKAWAに変更。
- 10月1日 - 連結子企業9社(株式企業角川書店、株式企業アスキー・メディアワークス、株式企業角川マガジンズ、株式企業メディアファクトリー、株式企業エンターブレイン、株式企業中経出版、株式企業富士見書房、株式企業角川学芸出版、株式企業角川プロダクション)を吸収合併。角川プロダクションを除く8社はいずれもブランドカンパニーとして存続します。この日より提供クレジットやCMの最後に挿入されるサウンドロゴも基本的にKADOKAWAに統一し、商号に「角川」を冠したグループ企業についていた不死鳥マークも引き継いでいます。キャッチコピーは「新しい物語をつくろう。」。
- 12月26日 - 株式企業汐文社の発行済み株式を全取得し子企業化します。
- 2014年3月31日 - 新規ネットサービス運営事業を分割し株式企業Walker47を設置。
- 4月28日 - 株式企業フロム・ソフトウェアの株式をトランスコスモス株式企業から5月21日付で取得し、子企業化すると発表
- 5月14日 - 株式企業ドワンゴと経営統合し同年10月1日付で共同持株企業「株式企業KADOKAWA・DWANGO」を設置することを発表。
- 9月26日 - ドワンゴと同時に上場廃止。
- 10月1日 - 株式企業KADOKAWA・DWANGOを設置し、株式移転を実施、同社の完全子企業となってます。
- 2015年4月1日 - 社内カンパニー制を廃止し、各ブランドカンパニーをジャンルごとの部局に改廃(ブランド自体は存続)。また、旧エンターブレインBCのゲームメディア関連事業、マーケティングリサーチ事業をKADOKAWA・DWANGOに移譲。
お家騒動の問題
1992年に、当時の社長と、その実弟との間で路線対立があり、お家騒動へと発展してしまいました。そのご弟の角川歴彦は、角川春樹の元を離れ、株式会社メディアワークスを設立し、角川メディアオフィスの従業員と共に移籍するという事態が発生し、その後、春樹がコカインを密輸したなどの容疑で逮捕されると、歴彦がメディアワークスと角川書店の社長を兼務し、最終的にはメディアワークスを子会社化することで決着が付きました。
角川歴彦の代からの角川
彼がトップに立ってから角川商法も、徐々に違うものへと変容していっています。これまでの角川春樹の時代は原作を元にしたメディアミックスという形で進んでいましたが、歴彦の代になってからは世界観を元に据えたメディアミックスが多くなってきています。いわゆるTRPG的な再生成可能な物語生成器を沢山手に入れて、それをメディアミックスという輪転機にかけてお札を刷り続けるようなものですね。しかし、そう言った作品作りではない部分、いわゆるメディア作りに関しては飛び抜けたところがあり、特にその実力派雑誌作りにおいて強大な力を発揮していたそうです。特に現状などを調べてみるとわかるのが、一人で突っ走っていく会長に対して前時代的な考えでついていけない社員たちという構図がどうやら出来てしまっているらしく、もう少し頭を柔らかくして良いプラットフォームや、いい作品作りにつなげていただきたいと思いました。